あなたは、生きるエネルギーの源となるような「生き甲斐」を探し求めていませんか?
でも、どんな風にしたら「生き甲斐」が見つかるのか分からないまま、「どうして、自分の人生はこんな風になってしまったんだろう?」と鬱屈した思いを抱えているのではないでしょうか?
けれど、あなたのように「生き甲斐がないこと」にモヤモヤしている人は少なくありません。
子どもの頃や学生の頃は、もっと夢があったり、楽しんだりできたのに、何故、大人になると、そういった楽しみが消え、「生き甲斐のない人生」を送ることになってしまうのでしょうか?
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何故「生き甲斐」は見つけにくい?
「生き甲斐」とは、「何のために自分は生きるのか?」という「答え」のようなものです。
- ○○のために生きていきたい。
- ○○のために明日も頑張ろう、と思える。
- ○○のためなら努力も厭わない。
この○○に入るのが、あなたの生き甲斐です。
実は、あなたの「生き甲斐」が見つけにくいのは、あなたの問題ではなく、社会構造上の問題でもあります。
一体、どういうことなのでしょうか?
「生き甲斐」が見つけにくい社会構造とは?
生きる目的は収入を得ること?
日本は、世界有数の先進国といわれる国の一つです。
先進国で暮らす多くの人が「お金があること」=「幸せ」というイメージを持っています。
ですから、日本社会では「お金を得る」ために最も多くの時間を生きる社会になっています。
そうですよね?
大人は、一日の大半を「収入を得るための労働」に費やし、子どもたちは「いい職業につくための勉強」をするために学校や塾へ行きます。
しかし「勉強」をする目的が「いい職業について労働すること」、「労働」する目的が「収入」を得ることだとしたら、「収入」を得る目的は何なのでしょうか?
多くの人にとって「収入」を得る目的は、「食べ物を買ったり、住む家の家賃を払ったり、老後の貯蓄をしたり」して、生きていくためでしょう。
では、「生きる目的」とは、何なのでしょうか?
「生き甲斐」に価値をおかない社会
「勉強して仕事に就き、労働収入を得て生きる」という社会を作った日本は、おかげで、国内総生産(GDP)世界第3位の国となりました。
しかし、経済的に豊かになった日本で、果たして「人々が昔よりも幸せになったか?」といえば、イエスとは言い切れません。
何故なら、世界の先進7ヵ国(G7)のうちで「日本の自殺率」は1位だからです。
つまり経済的には豊かになり、生きることが楽になったかもしれませんが「生きるのを辞めたくなっている人」が多い社会になのです。
そんな日本社会では、当然「経済的な豊かさの実現」が、人生の中で最優先になっています。
日本社会では、「生き甲斐」を見つけることよりも、「経済的に豊かになること」の方が、優先順位が高いんですね。
けれども、社会人になって仕事を持ち、経済基盤を確立した後に、「人生に虚しさ」を感じる大人は大勢います。
何をやっても、「心が満たされない」からです。
仕事をしても、趣味にいそしんでも、「そのことに意味が見いだせない」「自分がしていることが心から大事だと思えない」からです。
「生き甲斐」とは、心が満たされる「人生の目的」
繰り返しになりますが、『生き甲斐』とは、『何のために自分は生きるのか?』という「答え」のようなものです。
では、「何のために」生きれば、あなたの心は満たされるのでしょうか?
あなたは、生き甲斐を感じるためには、「何か、現在の日常生活に欠けている特別なもの」を見つけなければいけないと思っていませんか?
実は、そういった「何か特別なもの」を探そうとすると、ますます「生き甲斐」は見つかりにくくなります。
何故かというと、「生き甲斐」とは、あなたの心の中を探すことで見つかるものだからです。
潜在意識は、あなたの「生き甲斐」を知っていて、「生き甲斐」へ導くためのサインを、いつも出してくれています。
そのサインとは、あなたが日々感じている「心の動き」「感情」のことです。
では、どんな「感情体験」の中に「生き甲斐のヒント」が隠されているのでしょうか?
それは、あなたがこれまでの人生で強く心を動かされた体験です。
それは、ポジティブな体験だけではありません。
最も分かりやすいのは「ストレス」です。
何故なら、ストレスはとても強い感情で、頭でコントロールしようとしても、コントロールできないからです。
頭でコントロールしづらい感情の背景には、必ず、潜在意識に隠された願いが秘められています。
例えば、「強いストレス」の裏には、「もっと、こうあって欲しい」というあなたの本音が隠されています。
普段、あなたが「その本音が満たされなくても仕方がない」と割り切ってクールに日常を乗り切っているつもりでも、あなたにとって、その欲求は無視しきれないほど大切なものだから、ストレスとして現れ、「あなたの生き甲斐は、本当は、違う方向にあるのだ」と教えくれているのです。
そして、こうしたサインを無視せず、「自分はそれを心から望んでいる」と素直に受け入れて意識的に「潜在意識からのサイン」に正直に生きることで「生き甲斐」を感じられるようになります。
ところが、「本当はこうありたい」という、潜在意識にある欲求を「自分が求めるもの」として認めることができずに、「生き甲斐」を探して迷走してしまう大人は沢山います。
何故なのでしょうか?
それは、「自分が求めているもの」が、「社会からの要請」に反しているように感じられ、迷うからなんです。
「生き甲斐」と「社会要請」の板挟みになる理由
「勉強して仕事に就き、労働収入を得て生きる」という社会的な要請に応えても、「生き甲斐がなければ、虚しいだけ」と感じていても、なお、「自分が求めるもの」を認められないのは何故なのでしょうか?
人間の潜在意識的なプログラム
それは、人間が、元来、社会的な動物だからなんです。
人間は、クマや狼に比べれば、一人の運動能力は低く、闘っても弱い動物です。
けれども、集団で社会を作ることによって知恵を絞り、協力し合うことで、クマや狼を怖れずに暮らしていけます。
社会を作って集団で生きる、ということが「種としての生存戦略」となっているんですね。
そのために、人は本能的に他者の気配を察知したり、他者と協調したりしようとする性質を持っています。
幼い兄弟でも、赤ちゃんの表情を見て赤ちゃんが感じていることを汲み取り、何か世話をしてあげようとしたり、親の顔色を覗って言動を変えたりするのは、生まれながらに社会と協調して生きていくための潜在意識的なプログラムがあるからです。
そして、この潜在意識的なプログラムは、さらに、学校の集団教育で強化されていきます。
社会的な価値観を優先する心理
集団行動の訓練などでは「個人個人が、好き勝手やりたい放題するよりも、皆で協力した方が物事がうまく進む」ということを学びます。
こうした学びの中で、私たちは「自分の欲求に従うと、集団生活の輪を乱すことになり、自分は社会から弾かれて孤立してしまう 」という恐れを抱くようになっていきます。
「孤立する」ことは、社会的な動物にとって、「自分の生存率が下がり、死に近づくこと」を意味するからです。
ですから、「周りの価値観に逆らうと、イジメられる、マズイことになる」というような恐怖を感じるようになります。
生まれながらに「周りと協力することで生き延びる確率が上がる」というプログラムを持ち、教育によって「周りの価値観から外れると、社会から弾かれる」と学ぶことによって、大人になると「社会的な要請から外れたことをするのは怖い」という「潜在意識のブレーキ」が出来上がってしまうのですね。
けれども、「生き甲斐」を感じながら「社会的な要請に応える」ことは不可能ではありません。
ただ、そのためには、生き方を変える必要が出てくるんです。
どんな風に変えていけばいいのでしょうか?
生き甲斐を感じる生き方へのシフト
「他者から求められたことをする」とか「自分の能力として、できることを嫌でもする」という生き方から、「自分が心から望むことをする」という生き方にシフトしていく必要があります。
「労働収入」というのは、単なる「お金」ではなく、「あなたが労働に費やした時間と体験」を差し出して手に入れたものです。
「お金」があれば「好きな物が手に入る」と思われているかもしれませんが、その対価として支払っているのは「お金」ではなく、「あなたの人生という体験」なのです。
そして、支払っている人生は、お金で買うことができません。
「自分が心から望むこと」のために仕事をしたり経験を積んだりすれば、「心から望むことに繋がる充実した体験」によって得た「お金」で欲しい物を手に入れることができます。
何も無駄にならない生き方になるのです。
では、あなたが心から望むことはどこにあるのでしょうか?
それは、繰り返しになりますが、日々、あなたが感じている「ストレスの反対側」「愚痴の反対側」「我慢していることの反対側」に見つかります。
「勉強して仕事に就き、労働収入を得る」その目的が、あなたにとって、大切な大義に結びついていると感じられれば、あなたが生きている時間は、あなたにとって、とても意義深いものになってくるはずなのです。
まとめ
子どもの頃や学生の頃は、もっと夢があったり、楽しんだりできたのに、何故、大人になると、そういった楽しみが消え、「生き甲斐のない人生」を送ることになってしまうのか?
それは、大人の生活の全てが「労働収入を得たいという欲求」を中心に回っていて、「労働収入を得る目的」と「生きる意味」とが繋がっていないからである。
人間にとって、「生きる意味」とは「安全な衣食住環境を手に入れる」ことだけではなく、「心から望んでいることのために生きること」にある。
「心から望んでいること」は、特別なことや大げさなことではなく、「日常の中のストレスや愚痴、我慢していること」の反対側にある思いを掘り起こすことで見つかるものである。
いかがでしたか?
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