あなたには「自己否定」が強かったり、「自己受容」ができなかったり、そんな悩みがありませんか?
「ありのままの自分を受け入れることができたら、もっと楽になれるのに・・・」
そんなジレンマを抱えながら、どうしたらいいか分からずにいるのではないでしょうか?
そんなアナタに、知っておいて頂きたいことがあります。
それは、、、、、
「あなたが嫌いな自分のイメージ」は、「ありのままのアナタではない」ということ。
つまり、あなたは「自分のイメージを勘違い」して、嫌いになっているかもしれない、ということです。
勘違いした自分とは?
それは、誰か他人に「ジャッジされた自分」「レッテルを貼られた自分」です。
今、あなたが「自分なんて嫌いだ」と思う自分は、どんなイメージですか?
その言葉は、改めて思い返すと、「誰かに言われたことがある言葉」になっていないでしょうか?
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「ありのままの自分」とは?
あなたは、もしかしたら、「自分は人より劣っている」「自分なんかが幸せになれるわけがない」と思っているかもしれません。
でも、今一度、落ち着いて考えてみてください。
何故、そんな思いになるのか?
何故、自己否定をしてしまうのか?
いつから、そんな思いが強くなったのか
それは、「誰かから、あなたに向けられた態度や言葉」がきっかけになっていませんか?
そして、その他人の態度や言葉は、「他人とあなたを比べた評価」だったり、「相手にとって都合が悪い、あなたの一側面」でしかなかったり、していませんか?
あなたが、「自分はダメだ」と思う理由を、もう一度、よく考えてみてください。
「周りが自分を評価してくれないから」「他人に自分を否定されたから」自分が嫌いになってしまってはいませんか?
他人が、あなたを評価するとき、他人は、自分の身勝手な物差しであなたを「良い/悪い」と評価したり、あなたを思い通りにコントロールしようとして傷つく言葉を言ったりすることがあります。
会社や上司、親の価値観や都合などによって、あなたは、いつの間にか自分を無意識にジャッジするようになり「自分が嫌い」になってしまっているかもしれません。
しかし、それは、「真実のあなた」が嫌いなのではなく、「他人が、あなたに刷り込んだセルフイメージ」が嫌いなだけなのです。
あなたが、今持っているセルフイメージが「あなたの真実の姿」ではないのだとしたら・・・?
「他人に刷り込まれたセルフイメージ」を手放して、「真実の自分の姿」を取り戻し、「自分嫌いの呪縛」から解放されませんか?
「ありのままの自分らしさ」を見つける方法
本当の「ありのままのあなた」は、どんな姿をしているのでしょうか?
「ありのままの姿」とは、「良い/悪い」の評価がくっついていない姿のことをいうんですね。
まずは、あなたが「こんな自分が嫌いだ」と思っている部分について、リストアップしてみましょう。
例えば、「行動力がない」が、嫌いな側面だったとします。
- 行動できないような人間はダメ人間だ
- 行動できない人間は成功しない
- 行動できないから、自分みたいな人間は人からの信用を失うのだ
これらは、「行動力がない」という現実に対して、太字で示したような「評価」がくっついています。
「行動力がない」ということは、客観的には「行動に繋がらない」という現象に過ぎません。
それが「良いこと」なのか「悪いこと」なのかは、人の価値観によって、180度、変わるんです。
例えば、上司から「お客様が嫌がってても、無理してでも売り上げを上げてこい」と言われたとして、それを行動に移せなかったとき「自分は行動力がないダメ人間だ」と思うか、「行動できない自分ではなくて、上司の言っていることに問題がある」と思うかは、人によって違いますよね。
「思ったことが行動に繋がらない」のは、その背景に「行動力に繋がらない」理由があるからです。
そして、その理由にこそ、あなたの「本当の姿」が表れているのです。
それでは、他人に評価を受ける前の「ありのままのあなた」について、次のワークで明らかにしてみてください。
まずは幼稚園や小学校低学年の頃の「遊び方」や「学校での課題への取り組み方」などを思い出してみます。
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な~んだ、そんな他愛もないことか。
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と、興味が半減してしまったかもしれません。
しかし、小学校低学年くらいまでは、無意識に自分らしくいられたことが、小学校高学年になると、他人の目が気になりだし、「自分らしさ」を押し殺したり、他人に合わせた行動を取り始めたりしてしまうんですね。
他人の目が気になる年齢になる前、あなたは、どんな行動をしていたかを思い出すことで、「ありのままのあなた」の原型が見えてきます。
では、気持ちを新たに、「子どもの頃、あなたは、どんな遊び方や、課題への取り組み方をしていたか」思い出してみましょう。
- 勝ち負けのあるゲームが好きでしたか?それとも、おままごとのような、想像の世界で演じる系の遊びが好きでしたか?
- 物事を速く終わらせることに達成感がありましたか?スピードよりも、美しさや、丁寧に1つ1つ仕上げることの方にこだわりがありましたか?
- 誰かと話したり、誰かと協力したりすることをよくしていましたか?それとも、一人で黙々と何かに集中することが多かったですか?
- 遊びは課題へ取り組むとき、どんなことに、こだわることが多かったですか?
次に、大人になってからの仕事の中で、子どもの頃の遊び方や課題への取り組み方との共通点があるとしたら、どんな点があるか、見つけてみましょう。
仕事の評価や成果には関係がないのに、「自分なりにこだわっていた点」「いつもしていたやり方」があるとしたら、どんな点でしたか?
※見つかった点を、「良い / 悪い」、「人から好かれる性格 / 地味な側面」などというジャッジをせずに、淡々とリストアップしてみてくださいね。
例えば、私の場合、子どもの頃から競争には興味がありませんでした。
「一番に課題を終わらせる」とか、「順位がつくコンクール」などは、てんでやる気が出ませんでした。
大人に褒められることも、どうでもいいことでした。
評価を得ることよりは、自分なりの「やり方を追求」することが優先だったんですね。
遊びでは、大勢で遊ぶよりは、少人数や1対1で、じっくりお喋りすることの方が多かった記憶があります。
そして、森や林の知らない道を見つけたり、新しい場所を探検したりして、「探求」や「発見」を求めていました。
こうした傾向は、大学の研究室に勤務していたときに重なります。
いつも一人で黙々と実験を進める仕事ばかりしていましたし、より効率的な実験方法を無意識に追求していました。
「輝かしい実験データを出そう」とか、「上司に認められよう」とかいうことは、あまり考えていませんでした。
私の場合の「幼少期の頃の遊び方」と「大人になってからの仕事のやり方の共通点」というと、良くも悪くも「成果」や「スピード」などに拘らない、「模索」とか「探求」が「ありのままの自分の性質としてあった」ということに気づけます。
確かに、学生時代も、学校や親に評価されるテストの点数は、さっぱり上がらず、受験やコンクールも、いい成績が出せませんでした。
私の周りには、難関進学校に余裕で受かる子たちが沢山いましたので、「引き換え、自分は何で点数が上がらないのかなぁ」と悩んでいた時期もありました。
でも、こうして客観的に分析してみると、「そもそも点数を出すこと、成果を出すこと自体に興味がない」というのが「私のありのままの姿」だったんですよね。
あなたにも同じようなことがありませんか?
社会や親に求められてきたポイントについて、できない自分に劣等感を感じていたけれど、実は「そもそも、自分は、そんなことは、どうでもいいと思っていた」なんてことがあれば、そこに劣等感を抱くのはナンセンスです。
単純に価値観が違うだけなのですから。
「ありのままの自分らしさ」を受け入れやすくなる方法
これまでの人生を振り返ってみて、「そういえば、自分はいつも、こんなやり方をしてきた。こんなことに拘るのが自分らしさなんだ」ということが分かったら、「自分ってこんな特徴があったんだ」ということが受け入れやすくなりませんか?
自分の特徴に気づけたら、今度は、それを活かせる「仕事環境」や「人間環境」「コミュニケーション方法」について考えていきましょう。
特徴に「良い」「悪い」はありません。
特徴を活かせる場を見つけることで、あなたの特徴が周りから評価してもらえるようになります。
そうすれば「他人の物差しで評価されよう」と頑張らなくても、「ありのままの自分」で充実した人生を送れるようになります。
逆に、「ありのままの自分の性質」に気づかなかったり、そこに「ネガティブなレッテルを貼っていたり」すると、どうしても「他人が持っているもの」ばかりが欲しくなり、自分が「とても足りない人間」に感じられてしまうんですね。
自分が嫌いになってしまうトリックが、ご理解頂けたでしょうか?
自分嫌いに繋がる「あなたのセルフイメージ」は幻想だったんです。
「ありのままの自分の特徴」は、評価を受ける前の「自分の人間性」。まずは、それを知り、その特徴の活かし方を考えていきましょう!