日本でもフランスの猛暑を取り上げたニュースがあるようですが、2019年8月頭、フランスは非常に暑い一週間となりました。
特に木曜日が猛暑日のピークで42度を超える暑さとなりました。
《ちょっぴりフランス語講座》
猛暑日 = La canicule (ラ・カニキュール)
七月の猛暑日 = La canicule de juillet (ラ・カニキュール・ドゥ・ジュイエ)
観測されている数値は日陰の気温なので、日向の気温はさらに高かったことになります。日本の夏も暑いのですが、フランスの夏の暑さがしんどい理由は、家庭に冷房がないことにあります。学生さんなどは扇風機も持っていないことがほとんどですし、エアコンは一般家庭には取りつけられていません。
日本の暮らしは夏の暑さをしのぐことを旨としているのに対し、ヨーロッパの暮らしは冬の寒さをしのぐことを旨としているからなんですね。
ということで、暑さのピークとなった木曜日は夜になっても気温が下がらず、日中に熱された屋根や壁から夜間、家の中へ熱が放出され続けました。窓から入ってくる風が少し涼しく感じたのは朝の6時半のことでした。
暑さで夜も寝られず、消化機能が落ちてご飯もあまり食べられず、不快な暑さが続いたこの数日間、それでも不思議なことに意外と私は元気だったんですよね。
そして土曜日に気温は一気に 23度までさがりました。やっと涼しくなり、気持ちも楽になって、ほっとしたのも束の間、朝起きて数時間経つと妙な疲労感が全身を襲ってきて外出もままならない状態となりました。夫も同じような状態でした。
頭の中では、既に気温も下がって不快感がなくなり、夜も眠れて朝寝坊もできて「回復しているつもり」だったのですが、体は反応は逆だったんです。
時間差で襲ってくるストレス疲労
実は強いストレス状態に置かれているとき、私たちはストレスを感じるセンサーが落ちています。生命が危機的な状況、つまり強いストレス状態におかれている間はその危機を乗り越えるために体の全機能が働くようになっています。いわゆる戦闘状態なんですね。
例えば、昔々「自分の住んでいる村が敵に襲われた」という状況を想像してみてください。ご飯を食べてエネルギーを蓄えても、死ねばそのエネルギーは必要なくなります。まずは生き延びることに全力を注ぎ、ご飯を食べるのは生き延びた後でも遅くない、というシステムになっているわけです。戦闘においては、普段は疲れていない筋肉に貯蔵されているエネルギーも、思考機能も活発化して、いわゆる火事場のばか力が発揮できる状態になります。逆に生活の質を上げるための機能は下がります。つまり喜びを感じるセンサーやアイスクリームを食べたいなどの生命維持以外の欲求を感じる機能は低下します。不快感や疲労感も感じにくくなります。
つまり、ストレスや疲労感、恐怖を感じられる状態というのは、ある程度、肉体的・心理的に安全が確保されている状態ということがいえるのです。
例えば、他にも私の友人のこんな例があります。
その友人はある晩、家が火事になり、扉の向こう側にも炎が燃えていて、もう「自分はここで死ぬのかもしれない」と命の危機を感じたことがあるそうです。ですが無事にその危機を逃れることができました。その晩は近所の友人宅へ行ってお酒を飲みながら友人たちと冗談を言い合い、火事の出来事を笑い飛ばし、九死に一生を得た人間とは思えないような過ごし方をしたそうです。
ところが1日経って、その出来事の興奮から醒めると、家事の現場で感じていた恐怖がふつふつと蘇ってきたそうです。
火事の現場にいたとき、火事を生き延びた直後、友人には「ストレスがなかったのではなく、ストレスを感じていなかった」だけなんですね。
感じていないけれどストレスがある、という状態では、そのストレスは抑圧され、蓄積されています。自分が安全だと感じ、リラックスできる状態になったときにそのストレスが解放されればいいのですが、そういった機会がないまま、抑圧されつづけたストレスの量が臨界点に達すると、体はそれを体調不良や病気として表現したり、突然朝起き上がれなくなるという鬱症状などが表れたりすることになります。
「ストレスはない」「自分は意外と大丈夫」と感じる状態の怖いところはここにあります。
ストレスを感じられるのは良いこと?
実は、ストレスは感じられる状態の方が健全なんですね。ストレスを感じられる状態で、そのストレスを不快なものとして抑圧せず、そのストレスがどこから来ているのか、体や心が何を求めているのか、それらを意識することで私たちは自分の身を守り、心身の状態をより良い方向へと導いていくことができます。
同じように「恐怖という気持ちを感じることができる」ということは、あなた自身にその恐怖を克服する勇気が存在するということでもあります。勇気がなければ恐怖を感じることから逃げざるを得ないからです。
恐怖を感じる自分を臆病だと見下げるのではなく、勇気があるのだと認めてあげましょう。
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