神社へのお参り、神様を前にあなたがしているのはどちらでしょうか?

「祈り?」 それとも 「願い事?」

「祈り」と「願い事」の違いって?

「祈り」と「願い事」って似ているようで違うんですよね。

祈り

「祈りにも似た気持ちで~」という表現があるように「祈る」ときは、できる限り努力はしたとか、万策尽きたとか、自分の力ではどうしようもできない、神様の力がないと動かせないような状況、というニュアンスがあります。

自分の力で何かをコントロールしようとするのを諦めている「手放しの境地」で行われるものですね。

願い事

「祈り」に対して、「願い事」は、「神様○○を叶えてください」と、自分の努力はさておき「神様に叶えても~らおう!」という意識で行われることが多い神頼みの仕方です。

そもそも「お願い」といえば、人間同士でも「相手に動いてもらって、何かを実現すること」を意味しますよね。

つまり、両者とも「天や神様の力添えを仰ぐ」という点は同じでも、「力添えを頂きながらも、自分も力を尽くす」気持ちがより大きいのが祈りの特徴なんです。

「願いごと」では、「神様、あなたにお願いしたんだから、あなたの力で叶えてよ!」という神様を自分のために動かしたいという気持ちがより大きくなります。

願望が叶いやすいのはどっち?

潜在意識の仕組みから考えて、願望が叶いやすいのは、ズバリ「祈り」の方です。

何故なら、祈る人は、その願望成就の責任の一端を自分も担っている、という意識があるからです。

実は、「祈り」や「願い事」は、神様がいなかったら、無意味なのか?というと、そういうことはないんですね。

神様という大いなる存在に向かって、気を引き締め、意識を整え、目をつぶって、自分が抱いている願望に意識を向ける、という行為によって、潜在意識のベクトルをセットします。

そのことにより、無意識に願望成就のための「思考」や「行動」へ自分を動かす効果があるのです。

このような潜在意識の仕組みを考えた場合、「願い事」の境地では、自分でできる「行動」などを無意識に探すところまでは、自分をセットできないんですね。

「祈り」の意識で行う神頼みでは、自分も願望実現の責任者であるという意識が無意識まで浸透するため、脳が願望実現に向かって勝手に動き出す、という仕組みが発動しやすくなります。

初詣 ~ 叶う参拝方法

年初め、自分で努力できる、できないに関わらず、「何かを手に入れる願い事」をしたくもなりますよね。

そんなあなたに、叶いやすい参拝方法ということで「願い事から始めて、祈りで締める」というステップをご紹介します。

「○○が叶いますように。
(○○が手に入りますように。) ← 願い事

そのために○○な努力ができる自分でいられますように。 ← 祈り」

こんな感じです。

願い事は具体的に神様が何をしたらいいのか分かるようにしましょう。

そうしないと、神様は「それで、どうしてほしいの?」ってなっちゃいます。

「ダイエットして○○キロ体重が減りますように。
(ダイエットできますように ← NG これでは神様のお仕事が分かりません)

そのために、間食をしない、一日○キロ歩く、を毎日続けられる自分でいられますように」

こんな感じです。

ちなみに、神道家の話では、神様は人を識別するのに、名前と住所を知りたいらしいので、役所に登録している現住所と名前を言いましょう。

海外から帰省する方は、登録している海外の住所を述べましょう。

「○○に住んでいる△△と申します。← ご挨拶、自己紹介。

今年は彼氏ができますように。← 願い事

そのために、いつも笑顔で人に優しくできる自分でいられますように ← 祈り」

こんな感じになります。

本記事の3ポイント・アドバイス

3点セットで神頼み~♪

  1. 神様へのご挨拶は自己紹介から(名前と役所に登録している現住所)
  2. 願い事 (具体的に。お金などの場合は具体的な金額を)
  3. 祈り(願いを叶えるための人間としての自分の役割分担ができますように)